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燃えるゴミは火曜と金曜

facebookのトリコロール賛同大会

11月13日にフランス・パリでテロが発生した。そこでfacebookは、パリ市民の平和と安全を願うキャンペーンとして、プロフィール写真にトリコロールを重ねることができる機能を発表した。

 

この機能を利用してトリコロールを重ねたプロフィール画像を設定するfacebookユーザは、きっとこの記事を書いている今も拡大しているだろう。

 

トリコロールのプロフィール画像facebookのフィード上に増えだしてきた頃、この機能へ対して疑問を呈したり、注意を呼びかける内容の記事が発表されだした。例えば以下のような記事だ。

 

この時点で一度だけ言わせていただくが、このような記事を書くのは本当にやめて頂きたい

 

記事から生まれる連鎖

今回のトリコロール機能に関しては、ネット上で賛否両論を巻き起こしている。つまるところ、フェイスブックレインボーの際と似たような現象で、"機能の利用者に疑問を投げかける者""その人達に反対する者"の論争である。

 

ざっくりと言えば、前者の主張は「機能の意味を理解せずに見た目や流行に乗っただけの利用者が気に入らない」といったところで、後者の主張は「とやかく言うな。僅かでも行動することが大切なんだ」といったところ。

 

正直、こんな論争に意味はない。これはきっと、違う考え方を受け入れられない限り終わらない争いだろうから。私一個人の意見としては、どちらも間違ってないと思う。前者の言う通り、「なんかトリコロール流行ってるやん(ポチ)」なんて利用者も沢山いるだろうし、後者の言う通り、いかなる気持ちであっても結果的にその意思表示が何か大きな救いに繋がるかもしれない。

 

話を先に進めると、この論争は、先に紹介したような前者の意見から始まっている。あのような記事が、全ての発端となっているのだ。

 

記事の中では、「プロフィール画像トリコロールにしている人を悪く言うつもりはない」というような意思表示がされていることも少なくない。

 

だが違う違う違う!

 

あなたがその記事を通じて言いたかったことは、その部分ではないはず。そして、その記事の読者もまた、その部分を重要とは思わない。誰から見ても、その記事が言っていることは「もうちょっと考えてから機能使えよ」「この機能必要ないだろ」という風に受け入れられるのだから。

 

そして、それらの記事は、その記事が言っていることにスポットを当ててfacebookでシェアされていく。そして、それをシェアした人は「ちゃんと考えてから行動しないとな」的な言葉を添えていく。それを見たお友達は、「そうですね。きちんと意味を把握した上で利用したいですね」といったコメントや、「私は○○○と考えてフランス国旗を重ねさせていただきました」なんてコメントが付いていく。

 

理解者はどうなる?

機能利用者へ批判的な記事は、主に機能の意味を理解していない人へ対して疑問を呈している。そこで言いたい。

  • その理解していない人というは、あなたの記事を読む人なのか?
  • 機能の意味を理解している人の気持ちを、どれほど考えたのか?

私の周りにも、流行に乗っただけでトリコロールにしたんだろうなという人たちがチラホラいる。これは私の完全なる主観での意見だが、その人たちは貴方達の記事を読まないだろうし、シェアすらも回ってこないのではないだろうか、と感じる。その記事の内容は、伝えたい人に伝わらなければ、ただの内輪で盛り上がっているだけの自己満足になってしまうのではないだろうか。もし自己満足の記事であれば、それはそれで良いと私は思う。

 

そして、私が声を大にして言いたいのは、機能の意味を理解している人の気持ちをどれほど考えて記事を書いたのか、である。特に、個人ブログはまだしも、facebook等で拡散されやすい大手ニュースサイト上に載る記事の場合、「この記事に色んな意見が付いてfacebookで拡散されていくかもな」という想像はどれほど行われたのだろうか。

 

facebookでシェアされるのは、多くの場合でシェア内容にポジティブな意見を持った場合である。今回も、先のような記事が私の周りでも沢山シェアされ、「うんうん、何も分からずこの機能使ってる人多いよね、うんうん」というった賛同大会があちこちで起きているのだ。

 

待てい!

 

私は、今回の機能がリリースされたかなり早い段階で、プロフィール写真にトリコロールを重ねた。それは、私にとってパリは、昨年旅行したばかりでかなり身近な街であったことや、数少ない海外旅行先の1つという特別な街でもあったことから、その時出会った人や街並みを思い出すと本当に心配になって、パリ市民の平和と安全を願ったからである。

 

しかし

 

周りは賛同大会である。トリコロールにした人が賛同大会に赴いて、「ちなみに私は〜」といった釈明すらしている。そう、恥ずかしくなってきたからである。自分のプロフィール画像トリコロールを重ねることが、周りの人から勘違いされているんじゃないかと、恥ずかしくなってきたから釈明しないといけなくなっているのだ。

 

やめてくれ!

 

機能を利用した時、周りにトリコロールの人はほぼ皆無だったが、フェイスブックレインボーの教訓から、同じ事態になることは想像できた。だが、理解せずトリコロールにする人が溢れても、気にならないと思ったので私はトリコロールを重ねた。そして、実際気にならなかった。賛同大会が起きるまでは

 

大会が起きるようになってからは、確かに、「無知な奴と思わるんじゃないか?」という気持ちも生まれた。はっきり言って、すごく居心地が悪くなってしまった。facebookが「パリ市民の平和と安全を願う人」を対象として始めたキャンペーンに、「パリ市民の平和と安全を願う私」が参加しただけなのに。

 

まとめ

facebookトリコロール機能の意味を理解せずに使うことに対してや、機能自体に対して批判する記事を書くことをやめてください。その記事は、パリ市民の平和と安全を願っている人を悩ませている可能性があります。